【”サッカー王様” ペレ氏 死去】29日、サンパウロ市内の病院でサッカーの王様、ペレ氏が亡くなった、と発表された。「史上最高の選手」として称えられ、速くて、うまくて、華やか、前を向いたら誰も止められない、直前で判断を変えられる得意のドリブルで、相手を手玉に取った。どれもが現代サッカーで通用するレベルで、時代の先を行くプレーをしていた。
SNS上では現役の選手らが、ペレ氏への敬意を表している。
<ネイマール選手>
「ペレが現れるまでは、サッカーはただの、いちスポーツに過ぎなかった」
「ペレはすべてを変えた。彼はサッカーを芸術、そしてエンターテインメントに変えた。貧しい人々や黒人に発言する場を与えた」
「主に彼はブラジルに知名度を与えた。サッカーとブラジルの地位が向上したのは王様のおかげだ! 彼は逝ってしまったが、彼の魔法は残り続ける」
<クリスティアーノ・ロナウド選手>
「永遠の王様ペレにただ別れを告げるだけでは、いまサッカー界全体を覆っている痛みを表すことはできないだろう」
「常に私を気遣ってくれたし、一緒に過ごした全ての瞬間、常にお互いを思いやった。たとえ離れている時でも」
「彼の思い出は、サッカーを愛する私たち一人ひとりの中で永遠に生き続ける」
<リシャルリソン選手>
「サッカー史の最も美しい一章で、ゲームの歴史を永遠に変えた人物」
「あなたは常に、最高の選手であり続ける。60年前、あなたはあらゆる困難に直面しながらも、今やわずかな人しかできていないことを成し遂げた」
15歳で入団したブラジルのサントスで頭角を現し、17歳のときに出場した1958年のワールドカップで6ゴールを決めてブラジルの初優勝の貢献。その後も1970年まで4大会連続で出場し、62年、70年大会でも優勝を飾っている。背番号”10”がサッカーにおけるエースナンバーとなったのは、ペレさんが背負っていた番号だったからと言われる。
ペレ氏はルールを変えた。執拗(しつよう)なマークに遭い、負傷。1次リーグ最終戦のポルトガル戦は故障を押して出たものの、再び膝に相手のラフプレーを受けた。実質10人の戦いとなり、それまで認められていなかった選手交代が導入されるきっかけとなった。残した功績は華麗なプレーだけではない。今やサッカー界の常識もペレさんが起源になっている。
実は、本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメント。「ペレ」は愛称として知られる。由来は、幼いころにプロサッカー選手だった父の同僚GKビレの名を発音できず「ペレ」と呼んだから、という説や、裸足で蹴っていたことからポルトガル語で「裸足」を意味する「ペレ」になった、など諸説ある。しかし、本人すら「定かではない」としていた。サッカーの神様、ペレ氏の功績を称え、改めてサッカー界を盛り上げていたことに感謝したい。
生年月日 : | 1978年6月24日 |
---|---|
出身国 : | 日本 |
チーム : | |
ポジション : | MF |
利き足 : | 左 |