【お祭り男、監督を目指す】元日本代表DFの槙野智章氏が12/26、「現役引退及び槙野劇場第二章開幕宣言会見」を開いて、プロ17年のキャリアに終止符を打った。将来については「監督になりたい。これまでにない監督像をつくっていきたい」と言い切った。前回の中村俊輔氏の特集同様、選手から監督・指導者へと日本サッカーの1時代を築いた2選手が、サッカーにかかわり続けることは、嬉しい限りである。
~槙野智章氏って?~
・生年月日 : 1987年5月11日
・出身国 : 日本
・出身地 : 広島県
・ポジション : DF
・身長/体重 : 182/77
・血液型 : O
・利き足 : 右
・シューズメーカー : アディダス
既にサッカーを始めていた2人の兄の影響で小学1年生からサッカーを始めた。井口明神小学校のサッカークラブに入団し、小学6年次にはFWとしてフジパンカップ広島県大会で3位入賞した。その後サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。同期には森重真人、左山晋平などがいる。2003年にユースチームに昇格、2006年、サンフレッチェ広島トップチームに昇格する。
意外と知らない人が多いが、海外挑戦もしている。当時ケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケの誘いでドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルンへ完全移籍。出場機会に恵まれず、移籍1年目の出場は5試合にとどまった。翌2011-12シーズンも3試合の出場のみとなった。
復活を目指して、ミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任した浦和レッズへの1年間の期限付き移籍が決定。見事復活した姿を魅せ、2021年まで約10年プレーした。記憶に新しいプレーが、浦和レッズでのラストシーズン国立競技場で開かれた天皇杯決勝、後半ATに劇的な決勝ゴールを決めたシーンだ。
第101回天皇杯決勝 浦和レッズVS大分トリニータ 槙野智章選手決勝弾
~プレースタイル~
端的に表現すると「日本人でトップクラスのDF」こうだ。球際の強さは抜群で、空中戦も得意にしていた。その跳躍からのヘディングでDFながらゴールも量産していた。田中マルクス闘莉王選手の次にDFとしてJリーグで点を獲っている選手である。メンタルも強靭でキャプテンシー・コーチング能力も兼ね備えている。チームにこのタイプの選手がいるかいないかで大きく変わってくるというような選手だ。
ディフェンダーとしての総合力は間違いなく日本人屈指
フィジカル、キャプテンシー、攻撃センス
「主役である選手たちを最高に輝かせることができる監督になりたい」と、今後の目標を話した槙野選手、これまで同様今後の日本サッカー界を盛り上げるでっかい存在であってほしい。17年間の現役生活お疲れ様でした。
生年月日 : | 1987年5月11日 |
---|---|
出身国 : | 日本 |
出身地 : | 広島県 |
チーム : | |
高校|U-18 : | |
中学校|U-15 : | |
小学校|U-12 : | |
ポジション : | DF |
背番号 : | 14 |
身長 : | 182cm |
体重 : | 77kg |
血液型 : | O |